「やっても無駄」という思考

 

今年初めに立てた目標に対して、それぞれが結果に対して総括するフェーズに。

弊社では、各部のミドルマネージャーが、各スタッフと面談という手法でフィードバックを一斉に行います。

「学習性無力感」

上記をwikiってみると、こうあります。

「長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。

なぜ罰されるのか分からない(つまり非随伴的な)刺激が与えられる環境によって、何をやっても無駄だという認知を形成した場合に、学習に基づく無力感が生じ、それはうつ病に類似した症状を呈する。」と。

つまり、

①不快な体験が起こる。

②状況を変えることは自分ではコントロールできないと認識する。

③将来もこの不快な体験は続くだろうと悲観的な考えが生まれる。

④将来も自分の置かれた状況をコントロールできないと認識する。

⑤無力感を学習する。

こんなプロセスなんだと思います。

一生懸命に目標に向かって時間も体力も使ったが、成果としてこんなもんじゃ、やってもやらなくても変わらない・・・みたいな心境も遠からず近からずでしょうか。

しかし往々にして、自身のやっている事は正しく、成果の指標や表現が間違っている、という判断の方も多いかなと。

事実そうであれば、指標や表現を変えればいいですが、そういう結論になるケースは経験として僕の過去の環境でもほぼありません。

野球少年に出来ていない技術を指摘するのに、カイゼン方法を示さず、「出来ていない事実」のみを伝え続ける。

目標値に到達できなかったスタッフに関して、事実の理解からカイゼン策と期日を示さず、「何でできないのか?」と問い、「仕方ないよ」とだけ伝える上司。

環境自体が、学習性無力感を当たり前に感じさせるのは、やはり上司、指導者からすれば、絶対に避けたい。

僕はそう思います。

目指す成果に対して、限りなく遠ざかるのは必然なので。

組織は機能してこそ。

自身の意識はそこにあっても、チームの意識がそこに無いと、それはそれで機能しない。

画像は昨年の今頃の上のチビ。

野球が上手くならない原因が、自分の能力だと勘違いしそうだった時期。

上手くなったという比較対象が、他人ではなく過去自分だという事に気付くと、原因は能力ではなく、時間の使い方だという事に改めて気付く。

なので、上手くなるには、太陽が昇る前に行動すれば解決する可能性が広がるという結論になりました  (-^□^-)

「対話」はカイゼンツールとしては、やはりテッパンです(^_^)v

それでは、また。

No.4582

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